SINZO BBS (掲示板)

興梠慎三後援会事務局



* 同じ鵬翔高校で鹿島に所属する1歳上の増田誓志とは対照的に、中学から進学は推薦では無く、一般であった。また高校に入学してからも、1年の時は日曜日の練習をサボるなどしていた。

* 身体能力には絶対の自信を持っており、「センターバックをやれば、カンナヴァーロぐらいの選手になれると思う」と語っている。

* ミッドフィールダーは疲れるから嫌だという理由でフォワードに転向したと言い放つほどの心臓の持ち主。

* かつてアントラーズ入団当時の監督トニーニョ・セレーゾに「潜在能力は小笠原満男に匹敵する。」と言わしめ、彼が鹿島の監督を離職した際には「ブラジルに連れて帰りたい」と発言された。

* 2008年シーズンよりポジション登録をミッドフィールダーからフォワードへ正式に変更。背番号もエースFWであった柳沢敦の13番を受け継ぐ。

* 北京五輪代表メンバーから落選するも五輪期間中にクラブではスタメンを奪取。「将来のことを考えるとこっちの方が大きい。本当に北京に行かなくて良かった。」と落選させた五輪代表監督反町康治に対しての皮肉とも取れる発言をしている。

* キリンチャレンジカップ2008の日本代表メンバーに初選出された。

* 2009年スポーツマン1決定戦に青木剛と共に初出場しショットガンタッチで佐藤寿人と玉田圭司の持つサッカー記録12m50cmを40cm上回る12m90cmを成功させサッカー選手がショットガンタッチ1という初の栄誉を勝ち取った

* 2009年1月31日放送分のTBSスーパーサッカーPLUS内では現日本代表・岡田武史監督に「興梠は将来、日本代表のエースになる」と言われ大きな期待をかけられている。